産業・観光情報

高砂市は、海沿い一帯に大企業の工場が林立する一方、建立は神話時代といわれている遺跡や、平安時代から続くお寺等その歴史は古く、産業と観光名所がうまく融合された街です。

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生石神社 ~日本三奇の一つ「石の宝殿」~

kankou-oushiko.jpg生石神社の裏手に、切妻風の突起を後ろにして家を横たえたような横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物があります。
「石の宝殿」と呼ばれ水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」ともいわれていますが、多くの謎につつまれ、仙台塩釜神社の塩釜、宮崎県霧島神社の天逆鉾と並んで日本三奇の一つに数えられています。
いつ、誰が、何のために作ったのか、不思議な石造物として訪れた人の目を驚かせています。

鹿嶋神社 ~一願成就の神として参拝客でにぎわう~

kankou-kashima.jpg鹿嶋神社は、遠く聖武天皇の勅願によって国分寺と国分寺の東院として大日寺が建立されたとき、その鎮護の神として奉祀されました。天正6年(1578年)羽柴秀吉が、神吉城攻略の際、この地方も戦火を蒙り灰燼に帰したが、幸いにも御神殿は焼け残りました。歴代姫路藩主の祟敬篤く、祭礼には、常に特使を派遣され奉斎されておりました。また享和元年(1801年)の書である圓誉上人の掲額「鹿嶋大明神」や古い絵馬をみましても窺え、今日に及んでいます。
当神社は、一人一願心を定めてお詣りする時その願いは必ずかなえられる霊験の著しいことをもって“一願成就の神”として有名で、遠くからも善男善女の参詣者が絶えません。

曽根天満宮 ~菅原道真公が自らの手で植えた曽根の松も現在は6代目~

kankou-sone.jpg菅原道真を祀る曽根天満宮。伝えによれば、延喜の頃(901)、讒言(ざんげん)によって九州大宰府に流される途中、日笠山に登って休んだ道真が、「我に罪なくば栄えよ」と足もとの小松を自ら手植えたのが後の「曽根の松」で、その後播磨に流された道真の四男淳茂が、この松のそばに父を祀ったのが曽根天満宮の始まりだといわれています。

高砂神社 ~縁結び和合長寿の象徴・相生の松~

kankou-takasago.jpg松どころ高砂でも特に有名なのが、高砂神社の相生の松です。
高砂神社は、社伝によれば神功皇后が出兵のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげ、帰途この地に国家鎮護のために大己貴命を祭られたのが
始まりで、創建まもなく境内に生えでたのがこの相生の松だと伝えられています。
相生の松とは、根がひとつで雌雄の幹が左右に分かれた松のことで、ある日、尉と姥の二神が現れ、「神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げたことから、霊松として人々の信仰を集めるようになりました。

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高砂海浜公園・向島公園

kankou-kaihin.jpg白い砂浜、緑の松林、青い海に浮かぶ人工島・・・。「日本の白砂青松100選」の一つに選定された県立高砂海浜公園は、春から夏の水遊びをはじめ、四季を通して釣や散歩の絶好の場所として人気があります。
また隣接する向島公園には、動物広場、芝生公園、ナイター設備のある多目的球場・テニスコートなどがあり、海浜公園と合わせて一大リゾートゾーンを形成しています。この恵まれた環境の中に宿泊研修施設「青年の家」があり、学習会や研修会の場として大いに利用されています。

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日笠山 ~播磨灘の島々を一望~

kankou-hikasayama.jpg日笠山は曽根天満宮の西に位置する小高い山で景観もすばらしく、遠くは淡路島や家島諸島が見渡せ、瀬戸内の風光明媚なたたずまいを見せてくれます。ボタン桜の名所として知られ、シーズンともなると大勢の人々が訪れます。山麗で発見された日笠山貝塚は県下瀬戸内沿岸での縄文貝塚として土器類、多種類に及ぶ貝殻、動物の骨片、人骨などが見つかっています。

鹿島扇平自然公園 ~緑多き山々と2000本の桜~

kankou-ougi.jpg春は約2000本の桜、夏は新緑、秋は紅葉と標高304mの高御位山を背景とした自然露出岩とのコントラストは、年間を通じ見事な眺望です。広大な園内には鹿嶋神社、展望台、児童遊園、ハイキングコースなどがあり、うるおいとやすらぎを与えてくれます。

鹿島川 ~素敵な桜の並木道~

kankou-kashimagawa.jpg高御位山を源とする鹿島川には多くの桜が植えられ、シーズンともなると満開の桜並木のトンネルが明姫幹線南から旧浜国道北まで続きます。
夜間にはライトアップされ、幻想的に咲く桜を楽しむ市民でにぎわいます。

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荒井神社

matsuri-arai.jpg10月体育の日の前の土・日曜日に秋祭りが行われます。
荒井神社の秋祭りの呼び物は”仁輪加太鼓”です。
“播州仁輪加太鼓(ばんしゅうにわかだいこ)”は秋の実りを寿ぎ、秋祭りに欠くことのできない氏子の歓喜の表現であります。
由来は江戸初期とも中期とも言われ、嘉永二年(一八四九)の年号が入った太鼓の箱が最古の資料として残っています。
仁輪加とは「にわかに仕組んだ劇」という意味で、毎年異なる表題、それに伴う造りもの、舞子、乗子、担ぎ手の地歌、三味線の伴奏に寸劇を演じつつ、氏宮を発して氏地内各町を披露して廻ります。正に荒井の里の詩歌であり、荒井神社秋祭りにおける郷土芸能であります。
戦前は、荒井地区には東所、中所、西所の3地区と小松原を合わせ、4地区が各々若衆屋台と子供屋台、計8台を有しており、それぞれに趣向を凝らして担ぎ出されていました。各地区は祭日の前日まで表題は全くの秘密裡に準備し、秋祭り当日に初めて披露して互いに芸を競い合い、実に勇壮優雅な郷土芸能であり、一巻の絵巻でありました。

戦後まもなく、諸般の事情により何時しか各地区とも屋台も収納庫も消えてしまう運命となりましたが、郷土高砂市が市制20周年を迎えた昭和49年(1974)に氏神の渡御神事と荒井青年会の若人によって神輿が復活され、その翌年には仁輪加太鼓が郷土芸能として復活しました。
以来、毎年欠くることなく荒井神社秋祭りの神賑神事として今日に至っております。

2010年12月 高砂市の指定文化財として登録されました。

高砂神社

matsuri-takasago.jpg毎年10月10日・11日に秋祭りが行われますが、屋台の練り合わせの他、昔から名高いのが船渡御神事(3年に1度)で、『播州名所巡覧図絵』にも「篝船萬千の提灯に月星の光を奪う」と記されています。
宵宮の10日、神社を出立した神輿が町内を練り歩いて船着場に集結すると、締め込み姿の若衆が水中に入り、神輿を頭上に支えて御座船に遷し、船渡御が始まります。高張り提灯を掲げた供奉船を従えた御座船が裸の若者達に支えられて港に向かい、さらに神社へと環御されていきます。その醸しだす幻想的な雰囲気は、やはりこの秋祭り一番のクライマックスです。

曽根天満宮

matsuri-sone.jpg学問の神様菅原道真を祀り、10月13日・14日に行われる秋祭りは勇壮・華麗で知られています。
神事も多彩で、のぼりを立てた竹を男衆たちが地面に激しく叩きつけて割る「竹割」や、童児(頭人)が額に「八」の字を描き、狩衣姿に山鳥の羽を立てた花笠をかぶり、馬の背に乗って宮入りする絵巻物さながらに美しい「一ツ物」が有名です。
もちろん祭りの最大の呼び物は豪華絢爛な屋台の練り合わせで、屋根に布団を敷き重ね、四隅をピンとはねあげた色鮮やかな布団屋台が威勢よく練り合わされると、祭りは最高潮。やがて陽が沈んでも、名残を惜しむかのように灯りを点した美しい屋台がいつまでも闇の中に浮かび上がっています。

生石神社

matsuri-oushiko.jpg10月の第3土・日曜日に行われ、見ものは神輿の勇壮な練り合わせ。祭神である大穴牟遅命を祀る赤い神輿を若者が、少毘古那命を祀る黄色い神輿を年配の者が担ぎ、ぶつけ合うように激しく練り合わせます。
ユーモラスなのが「赤囃子」と呼ばれる神事で、神の警護役の猿田彦に扮した人物が、まわりではやしたてる若者たちを棒でを振るって追い散らし、神の強さを象徴します。

その他
大塩天満宮(10月14日・15日)
米田天神社(体育の日の前々日・前日)